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木内籐材工業株式会社: 籐製品製造



伝統工芸士・木内友秀氏
店主名 木内 友秀
住 所 文京区千石4-40-24
TEL 03-3941-4484
ホームページ http://www.kiuchi-tohzai.co.jp/index.html
店主の趣味・特技
店主のひとこと
お店のイチオシ!! No1商品 籐製鼓椅子
 地図 こちらクリックしてください



☆千石本町通り商店街☆
路地裏の伝統工芸




千石本町通り商店街の路地裏に籐工房があるのを

ご存知ですか?

実はこの商店街が出来るずっと前から

この街に根付いている工房があります。

しかも社長は東京でも唯一の

籐工芸の伝統工芸士に認定されています。

私たちの地元にある伝統工芸を沢山の人に知ってもらい

身近に感じて頂けるよう、突撃取材してまいりました!!


木内籐材の作品


ーー創業はいつ?ーー


初代は今生きていれば110才位?

15才から始めたとすると90年以上になります。


ーー何代目?ーー


懐かしい話を優しい語り口で話してくださいました


今私が2代目。

息子(秀樹氏)が3代めになります


ーー初めからこの土地であったのか?
当時のこの街の様子は?ーー



初代の父が中学卒業の15才位から、千葉の旭という町で

籐工芸の修業をしていました。

銚子が本場だけど、今は銚子でも数件しか残っていません。

当時自分がこの土地で始めた時は、商店街もなく

うちから佐野八百屋(大鳥商店会の元八百屋さん)まで

長屋が続いていた。(戦前昭和15、6年頃)

中村時計店の前の通りは、当時小川が流れていました。

白山通りの千石1町目の交差点は、今よりもっと広くて

家も全然なくて、都電もうちの2階からみえていました。

(千石1町目の都電は昭和42年位まで走ってました)

板橋のガスタンクや、当時千住のオバケ煙突も

見えていました。うちは当時にしては珍しく

2階建てだったから、先端な建物でしたね(笑)



ーー職人さんは?家族だけですか?ーー


今は忙しい時だけ手伝ってもらい、普段は家族のみ。

昔は職人さんがいて、多い時は20人以上

いた時もありました。当時隣の倉庫になっている場所には

職人さんたちが寝泊まりしていて住み込みの職人さんは

10人、通いは15人はいましたね。

集団就職で秋田から来てた人もいたけど、長く続けられず

途中でやめて行った。。。

 一本一本手作業で繋げたり、編み込んだりして根気のいる作業です。


ーー長く職人さんで務めていた人もいましたね。
イイジマさん。。。
いつも酔っぱらってた--



あぁ、親戚で彼も旭から修行してきたんだ。

年中酔っぱらって、アル中だったけど、

仕事は真面目にやってた。

仕事しないとクビになっちゃうしね(笑)


ーー籐製品の特長ーー

籐はインドネシアで栽培されている天然の物。

ヤシ科の植物。

竹は中が空洞になっているけれど、籐は繊維が詰っていて

丈夫で長持ちします。

使い続けることで味のある色合いにもなります。


製作前の籐の材料


ーー今現在製作しているものは?ーー


敷物。1枚が20畳位あります。






実際使用されている脱衣所の敷物


通すだけで1日3畳位。1畳分仕上げるのに1日掛かりです。

一本一本を編み込んだり繋げたりするに

長時間座りっぱなしで集中力のいる仕事なので、

本当に大変な作業です。

他にも椅子など家具も作っています。

昔からある『型』を使って作成するものもあれば

新たに新製品を作る事もあります。

草履や日用品、家具など籐の製品は時代を問わず
長く使い続けられます。



ーー籐の仕入について苦労している事ーー

籐の輸入禁止でなかなか入らないことがあって

価格も2.5倍になっています。

うちは息子(三代目)がインドネシアのボルネオ島に

直接行き良質な籐を年に2回ほど仕入に行っています。

(1度行くと3週間程滞在)



インドネシアでの仕入や現地での籐加工の様子


     






ーーインドネシアでの滞在中の様子をフェイスブックに

UPしているのをみました。インドネシアの加工工場や

畑の様子、工房の様子など大変興味深い

写真がありました。

時に美味しそうな食事の写真も(笑)ーー


注: 籐の原料は主にインドネシアでしか栽培しています。

インドネシア料理美味しそうですね(笑)
 




ーー主にどんなところで使われていますか?ーー

ゴルフ場の脱衣場や、料亭のお座敷などに使われています。

脱衣所の敷物や、料亭のお座敷の敷物


ーーどこで販売していますか?ーー


インターネットでも通信販売しています。


http://www.kiuchi-tohzai.co.jp/index.html

年に一度東京都伝統工芸士の展示実演販売が、

都内デパートで開かれます。

それに文京区でも区内工芸士が集まって

展示販売する事もあります。


ーー跡継ぎの3代目秀樹さんについてーー

後継者問題で跡を継いでくれる人が少なくなる中

子供の頃から籐の性質に触れて、職人さん達の仕事を見て

育ったので、手作りの良さを感じ取って

くれていたのではないかと思う。

時代が時代だけに何処に勤めていいという時代じゃない。

先の苦労を考えるわけだけれど、跡を継いでくれた事は

素直に嬉しいね。軽い気持ちで入れる仕事ではない。


三代目の仕事ぶりは、職人そのもの

何年もかかって覚えて覚悟のいる仕事だけれど

子供の頃から見て触れて育ってきたので、

割とすんなり抵抗なく

特にやりたいこともなかったし(笑)

入ることが出来ました(三代目 秀樹さん談)




親子で一つの物に取り組んでいる姿っていいですね♪

ーー伝統工芸士としてーー


敷物など大物のオーダーを受けられるのは

関東ではうちにしかできない。

これからも手作りの良さを知ってもらい、

使って頂けたらと思っています。



あとがき

今回の取材で、今まで籐工房があることすら知ら

なかった人も多いと思いますが、身近なところに

伝統を受け継ぐ工芸があるという事に

誇らしさと、嬉しさがこみ上げてきました。

一本一本手作業で編みあげて一つの作品となって

いくものはまさに芸術です。

最近では地元小学生や中学生学校単位で

見学もあるとのこと。

後継者問題も話題になりましたが、一番には

一人でも多くの人に興味を持ってもらうこと、

手作りの本当の良さを知ってもらうことが

伝統工芸の本望だと感じました。


そして先代から受け継いできた籐への愛着と

手作りでという事に

自信と誇りを強く伝わってきました。

普段ニコニコと朗らかな2代目ですが

仕事場でのキリリっとした職人のお顔が印象的でした。

そして親子2代で一つの仕事を仕上げている姿が

大変微笑ましく大きな『商品』というより『作品』だと

作業の様子を見て思いました。


三代目と街中で会うときは、いつもご夫婦と

幼い娘さん二人とで

散歩する姿をよく見かけます。

よく見かけるので『ちゃんと仕事しているのか?』と

心配されるそうですが(笑)

今回初めて工房にお邪魔して、外からは見えない

仕事の綿密さ集中力や根気を知ったら、

娘さん達との時間でいかに

気分転換が大切かを理解しました。


過酷な作業の中でも、親の背中を見て

跡を継いで伝統を繋げていく。。。

子供の頃からの環境だったとはいえ、

親の仕事を理解して尊敬の念がなければ

『継ぐ』という気持ちにはならなかったと思います。

三代目も気持ちの素直で温厚な人柄ですが、

仕事場での姿は普段見るお顔とは違い

『職人』のお顔をしていました。

彼も今後お父様のように『伝統工芸士』として

伝統と現代流のやり方でますます広めていって

ほしいと思います。

最近では、町内会や商店会でも、

若手としてお手伝いしてくれています。

これからもこの千石の街から

日本の伝統工芸を発信していきます!!


今回はお仕事中のところ、貴重なお時間を作って頂き

写真撮影と取材を快く引き受けて頂きました。

この場をかりましてお礼申し上げます。

ありがとうございました。


 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 


     

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